存在するふたりの少女

虐待・難病・色々な人生を送りながらも生きてます。

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2019-12-06 (Fri)  21:56

『そんでまた独りになる』




アスペルガー馬鹿は実家に帰った。

わたしは結局最後の最後までそいつの身の周りのことをした。

引越し業者とも向こうは病気だとわからないのでこいつが話すとイチャモンをつけてるクレーマー扱いになって揉める。

強いこだわりで、どうしてそうなるのか、意味がわからない、辻褄が合わない。などなど…

納得出来ないことを何度もしつこく聞くので仕方がない。

あなた(営業のひと)とは全く話にならない!と、その引越し業者の苦情センターにまで電話をしたが、その担当の人さえ何度もやりとりしたのち最後は居留守を使われて、折り返してください。と伝えても連絡すら来なくなっていた。

側で見ていて本人はそれだけで疲れ果ててげっそりして寝込みだしたのでやめさせた。

そしてわたしが違うところの業者をしらみつぶしに連絡し、最安でこの馬鹿にも良心的なやり方をしてもらえる業者に決め、その内容を本人に説明し、納得させてから手配と段取りをした。

それからやっと引越しが本格的に始まった。

ゴミ屋敷の大量のゴミだか必要だかわからないものの仕分けから始まり引越し業者さんが持ってきた段ボールで荷造りするまで全部だ。

ばかは重度のADHDの特徴で整理片付けが全く出来ないから。

そして身体が薬の副作用で全然動けないから。

幼稚園児の方がきっとかなり作業も進んでお役に立つと思う。

だけど、これまたアスペルガー全開で、口だけは健康だから威張り腐りながらこれはそうゆう風にするのやめて。いま何触ったの?明らかに生ゴミだというのでも勝手に捨てないで!俺がわかないことしないでよ!ちゃんと見せてからにして!

とか言うんだけど。

台所の賞味期限が何年も過ぎた調味料ひとつ、溶けて袋に引っ付いた小さな飴玉一個全てである。

最初に途方に暮れて泣きながら、

出来ないのでお願いします…。

と自分の引越しを他人にやってもらってる身分で何故にそんな偉そうに出来るのかほんとうに腹が立つ病気だ。

業者と決めた最低の金額内での荷物は、大の段ボールでは40箱だ。ほかにマットレスや大物がある。

引越しの荷造りを最低になんとかしても多分ファミリー用くらいのボリュームだろう。

あとは最終日の受診のとき今までかかっていた病院で次のところの紹介状も抜かりなく出してもらった。

発達障害の専門医、認定医の先生じゃないと今後色んな申請を出すのに効力を持たないからダメだとアスペルガー馬鹿は散々騒いでいたので、話すときはわたしと主治医の先生と考えて、なかなか予約は取りづらいけど、ちょうど主治医の先生が医科大学時代の先輩に当たる人の机下宛に一応二つの病院に出してもらえた。

他、この土地での役所関係、住処の退去の手続き、実家なので早く着く分にはいいから帰る日直前から向こうに行くように郵便の住所変更さえ全部やった。


そして何度かまた荷造り中わたしが我慢できないほどのレベルで威張ると格闘が始まる。

そしてその都度泣いて、

ごめんなさい。

俺は本当にどうしようもない…。

とか言ってやがる。

その繰り返し。

で、そんなこんなでやっとこわたしがやることがほとんど終わった。

最後は身体がぼろぼろになった。

ヒビがまだ治ってなかった中でぶん殴ったり、力仕事をしたので右手もまた悪化した。

ミシッて音を聞いた時あーあ…。

と思ったけど、こいつをこの土地から抹消するには犠牲は付き物だと学んでいるのでよい。

引っ越し業者さんの当日の朝でもまだ荷造りが終わってなかった。

この場に及んでまで明らかな布切れやスーパーのビニール袋、紙袋などのゴミも段ボールに入れて持って帰ろうとする有り様だ。

40箱で出してもらった見積もり金額なのに49箱になった。

もし多くなりそうならお知らせください。

と言われているのはわたしだ。

わたしがやり取りしているから恥ずかしい事をしないでほしいけどそんなのが通じないのがアスペルガーである。

絶対40でおさまらないとわかったとき、引っ越し屋さんに電話してオーバーしそうだから一個の単価聞くわ。といったら何個になったかわからないで済むかもしれないからしないで。とか言う。

わたしはそうゆうズル賢いのが嫌いなんだけど。

そして引っ越し屋さんは予定時間通りに来てくれた。

めちゃくちゃ重たいものしかない。

謎の石とか読みもしない無駄なゴツい本。もしくは精密機器ばかり。

終いには作業で引いていたサブロクくらいの薄いベニヤ板三枚も持って帰るときかない。


それをこんなにも丁寧に?とおもうほどちゃんとしてくれた。

そして一個一個に番号シールを貼っていったので個数オーバーはわかってもらえるぽい。

電話で前もって伝えなきゃだめだからそれだけで本当にとても恥ずかしい。

それなのに、全部積荷して清算するときに、最初に決めたのを変えれませんから。と嫌な顔ひとつせずに金額はそのままでやってくれた。

とても申し訳無い気持ちとなんだか無性に男の人1人と女の人1人がプロの仕事をしている姿に感動してしまった。

毎日朝から通い詰めて引っ越しの事をしていたのでこのアスペルガー馬鹿くらいしか最近話してなかったからか普通の人と話すとこんな感じだっけ?みたくなって、その逞しさと優しさとかで胸がいっぱいになり泣きそうになった。

わたしは朝8時から来て何も飲まず食わずにやり続けて、トイレにも1度も行かないでなんとか18時前に引っ越しは終わった。

そして寝袋で一晩こいつは寝る。

なので夜ご飯と朝ごはんをコンビニに買いに付き合って、また家に送り届けた。

で、わたしは意識が朦朧としながら自分の家に帰った。

帰っても食道が塞がったみたいに固形物は何にも喉に入らないのですぐに横になった。


今振り返ってみて、この2ヶ月がピークできっとかなりわたしは辛かった。

自分の引っ越しを人にやってもらってるくせに口調もキツく、文句を言われて感覚もどんどん麻痺してたし、体も朝起きたら毎日の疲労で浮腫みが辛かったし、右手も不自由、身体は元々病気。そんなのがやってるんだから。

じぶんではもう『やるしか道はない。』しかなくて限界なんか言ってられない。と、やっていたんだと思う。


そんなこんなで疲れすぎなのかほぼその夜は眠れずに次の日の朝8時前にまた家に行き、簡単な後始末と帰る荷造りをし、ここから消える瞬間(空港に送る)まで面倒をみた。

2週ごと往復8時間かけての通院から始まったこいつのと最終戦争は丸5ヶ月で終わりになった。


帰ったあとも必要書類を預かって年金の減免措置の手続き(書式は本人の名前が自筆で横に印鑑を押してあれば好きに書いた委任状があれば良いというから)を役所に代理で行って申請してからまた郵送で送り返したり。

本当にこいつのことは散々やった。


そうして知り合ってからの3年があっけなく終わった。

いまはそいつの痕跡は跡形もなくわたしの生活から無くなった。

あ、居たんだな…と思い出せるのは身体中に出来た青あざや切り傷の跡。

右手は肘下から痛みが酷くほとんどもう力が入らなくなった。

体調があまりにも悪いからいつでも入院できる為用のキャスターも部屋にあったが玄関にまで移動してる。


こいつは、飛ぶ鳥跡をとっても濁す。

という男なので最後は地域の曜日に間に合わなかったんだ…

ごめん。悪いけど〇〇ちゃんの地域の時に出してください。

と、人の車に古新聞古雑誌の回収系、段ボールの残骸やゴミを散々置いて行った。

最低である。


だけど、片付けをしている時に見つけたもの。

わたしが毎日通っているカフェに3年前こいつは突然話しかけてきた。

ちょうど3年前の年末だった、レシートを見てこの時間に来る人なのかと3日同じ時間に通ってわたしがいたら話しかけてみよう。とやってきたのがはじまりだ。

その頃のわたしは難病の薬が半年くらい飲んでて効いてたしこれから先の事をいつ何時、何が起こっても良いように整理しなくてはならない。

と、全てを終え全てを無くしてひと段落がついた時だった。

みんなが年の瀬で慌ただしくしている時も無心にカフェで本を読んでいた。来る日も来る日も何も考えずに本を読んでいた。

なので周りに誰かが居たとか全く見覚えも無かったけど、そんな不気味なわたしに話しかけてきたのだ。

その時の4日分の同じ時間帯が印字されたカフェのレシートを見つけた。

わたしにまつわるものはこれも捨てられないこだわりなのか何でもとってある。

一緒に食べたお菓子やパンの袋とかお店のカードとか何でも。

ちょっと気持ち悪いかもだけど、わたしのたまたま抜けた髪も絶対にとって大事にしていた。

わからないけど沢山の涙が出てきた。

止まらなかった。

何泣きなんだろうか。

わたしを勝手に見つけたくせにこんな感じになってお前は帰るのか。という怒りなんだろうか?

それの終わりが自分の身体がもうどうにもならないくらいに不調になったからなんだろうか。

もうよくわからん。

これも時が解決して行くんだろう。


お次は娘ちゃん。

娘ちゃんの問題もアスペルガーばかと同じ時期だ。

7月くらいから就活をひたすら頑張り続けてきた。

これまた地獄の日が何度もあった。

娘ちゃんは超がつくほど真面目で外では絶対に嫌な顔とかしない。

その分イライラや理不尽な世の中に体当たりでほぼほぼ毎日わたしにぶつけて来るけど、それにも向き合って行く。

わたしはブラック化した娘ちゃんに、

そんな程度何ともないよ。ストレスは難病にも良くない!全部ぶつけてー!って風を装って向き合う。

口調もキツイし顔も怖いし話しかけても無視も平気でされる。

本音はかなり精神的にやられたけど。

ハゲそうなくらい参ったけど。

恥ずかしいが夜中泣いたこともあるけど。

…まぁ仕方ない。

親になった人しかわからないと思うが、子供に死にたい。と泣き叫ばれたときはかなり凹んだのだ。

学校の帰り道、どうやって死ねるのかな?

交差点があるたびにだれか轢いてくれないだろうか。

ばかり考えて帰ってきた。

と家に入るなり床に倒れて大泣きして言われた。

一応娘ちゃんはわかっている。

わたしに向かって

「せっかく産んでもらった親にそんなことを言うのはめっちゃ親は辛いと思うし酷いことなのわかってるんだ。でも言った方が良いと思って…。」

と言われた。

わたしは、

「うん!言って言って!いつも帰ってきて暗い顔してなんかあったのかな?…

とか今何考えてるのかな?…とかわからないより全然良いんだー!」

娘ちゃんは、

「そんなこと普通の親は言わないと思うし、親なら、そんな死にたいなんて言わないでよ!絶対大丈夫だから!

とか言うと思うんだけど、〇〇ちゃんの最初の反応で、あ、言った方が良い。って思ったんだ。」

と言う。

そう。わたしは死にたくなることは誰でもあるしその理由が薄かろうが濃かろうが人間は死にたい時は死にたい。

なので、娘ちゃんに言われた時、親のくせに、

「わかるー‼︎

死にたくなる時めっちゃあるよね!」


と前のめりで肯定している。

「そりゃ親だから娘ちゃんにそれを言われたら辛ってなるけど全然みんなたまに死にたいし。とてもわかるので大丈夫ー。

あと産んでくれたのに…とか言ってたけどわたしが好きで勝手に産んだんだし。

娘ちゃんが死にたいと思うような人生になったんならかえって申し訳ない‼︎

だよー。

だから、死ぬ時言って!産んで申し訳ないー!って一緒に死ぬからね!」

とウキウキで話してたら、なんだか娘ちゃんは苦笑いして、くだらなくなった!すっきりしたよ。とお元気になっていった。


変な親だと思うけどわたしにはそうゆうことなんだ。わたしはなんにもこんなに大きくなった娘ちゃんに役に立つことなんかないんだもん。

そんな事しか出来ないんだ。

もう社会からも離れて知人ともわざと距離を取ってる。誰かに相談とかしたくないし、誰かいたとしても話すとなぜだか余計に弱るし。

それ以前に舌痛症が最悪過ぎてもはや普通に話すのも嫌なのだ。


学校や企業に対してもわたし自身ムカつく事があった。

そうゆうのは黙ってられないので、これまた猛突進して全滅させないとダメなのでとても疲れた。

どこからのとか、どいつのとか、もうめちゃくちゃになってごちゃ混ぜなので判明出来ないほどメンタルも身体もボロクソになった。


それも今は全部終わった。

娘ちゃんのこだわりでここがいいと納得できるところに就職が決まった。

そして決まったのですぐに自動車学校の手続きをして免許を取りに行っている。

早くしないと地元を離れての職場なので間に合わない。

これはわたしはお金を払う事しか出来ないので己の力で引き続きひたすら頑張って取っておくれ。

とりあえず担当の教官?みたいなのは娘ちゃんは自分の子供と同じ歳くらいだからか話しやすくとても優しい良い先生らしい。

ビビリの娘ちゃんなのでここは直線で飛ばしていいよーと言われても未だに最高速度は37キロしか出ないぽい。可愛い。


ばかの引越しが終わってこの地から去ったらすぐにまたわたしと娘ちゃん2件分の荷造りがある。

ちょいちょいとかなり捨ててはきてたけど、まだ使うもの、持って行きたいか本人に確認するものなどがある。

就活中の娘ちゃんは、

俺に触ると怪我するぜ?

みたくとても目がつり上がっているようになっていたので簡単な日常生活の聞きたいことも安易に話しかける事も出来なかった。

バイトも人員の中では上らしく娘ちゃんは新しく入る人のトレーナーとやの身分で、店長に言ってもあまり休ませてもらえなかったり、イライラが超マックスであった。

キレ過ぎて突然店長に電話してそんなやり方するならやめる。と言ってみたりしてた。

それもなんとか落ちついて自学優先で日曜日の出れる時とかでいいから。と言ってもらえたりして、今となったら嘘のようにまたぽわーんとした柔らかな雰囲気が戻ってきたのでなんとかわたしも娘ちゃんに怯えることなく暮らせるようになった。

また以前みたくベッタリくっついて今日なんの映画観るー?と楽しそうだ。

わたしのベットにまで来てずっと喋って離れないとか。

かなり平和になった。

そしてお友達と溜まりに溜まった遊ぶ約束を入れ込み出して満喫している。

それもそれで心配だ。娘ちゃんは恐ろしく極端である。


あとはもう少しわたしの身体が復活したら一気に引越しの準備を進める。

娘ちゃんには普通親が実家で結婚するくらいまでは持ってるであろう。というような幼少期からの自分のものもわたしがどうなるか分からないから全部持って行ってもらう。


わたしは……


わたしはどこに行くのか決まってない。

まず娘ちゃんの事で精一杯だ。

新しい土地での病院は難病の方のは今のわたしと一緒の主治医がイチ推しのIBDセンター長が主治医に決まっているし、最近受診した時も

「もう用意は出来ているからね。あとは最後2月に簡単な検査結果を添付したら完成!」

らしい。

もう一個の訳の分からん10年くらいは見なきゃならないPR3-ANCAのやつの医大の病院も難病と同じ病院に紹介状を1月にもらう事が随分前に決まっているから安心である。

あとは心配なので初診だけはご挨拶がてら同行するつもり。これは3月の初めころになるかな…。

娘ちゃんの住む場所は決まったので全部綺麗に終わらせる事はできる。

事務的なこと、今後は生命保険とか私名義のものを自分に変えてそれの口座変更や色んな支払いの引き落としを自分名義にしないとならないからそれの手続き。

流れは出来ている。時期も工程は出来ている。


そのあと最後にさぁ!自分はどうするかな。

となる。

難病の主治医はもう娘ちゃんがそばにいてもはっきり話すようになった。

わたしは相変わらず死がとても近いとおもうけどあと娘ちゃんと暮らす3ヶ月はなんとかイケるとおもう。

娘ちゃんは大丈夫だ。減薬もしてしばらく落ちついたら断薬の期間も視野に入れて紹介状には書いてるから。と言われた。

わたしはまだ一度も減薬どころかそのまま活動期で飲む容量のまま。

肺も気胸のまま。

この季節になるともう1年になるんだな…

と最近ふと思う。

クリスマスに息が出来なくなった。

手術のときも入院生活も未だに鮮明に覚えている。

いつまたくるかわからないあの呼吸困難のやつ。

そっかー…食べ物の味もわからなくなったのも一年経つ。

味がないだけなら全然いいんだけど舌先や舌全部のビリビリ、口の中全部が金属ぽい感じ、唇までの痺れにはほんとうにこれを毎日我慢していられたことは普通の人間ではないとおもえるわ。

あとは今年こそ大晦日にガキの使いをみたい。てか、娘ちゃんとの2人暮らし最後の年末年始はのんびり過ごしていたい。


WBSSの井上の試合は願い通り観れた。

一応全試合コンプリートしている。

バンタム級のWBOのベルトを狙ってるみたいだからそれもなんとか観たいけどいつかわからないしとりあえず今のところ満足した。

そのほかは思い残す事がないようにしていこう。


この歳であと2、3ヶ月後のわたしは一体どこに暮らして一体どうなってるんだろか?

と生活している人きっといないだろう。

一応2月だか3月に入居できる市住の申し込みも布石的にしてきたけど人気のないところはゼロとかもいっぱいあるがわたしが入りたい所は新しいし久々の単身可の物件だから倍率100倍位だ。

きっとダメだね。まぁ独りだからどうにでもなる。

自分のことはなんとでもなる。

ほかの土地に行くなら今の街で沢山の手続きがあるからそのままの住所があるうちにしないとならない。

今の家は娘ちゃんがいるうちだけの2月いっぱいになると思うので、出てそれらをやるかもしれないから最悪は車中泊生活が短期間であるかもしんない。

とんでもない人生だ。

それでも今のところまだ生きているから考えておかないならない。

みんなそうだろうけど、わたしにとっても生きることは地獄だ。

「死にたいまま生きている」

という人もいると思うが、わたしは

「なるべくなら生きたいが死ぬだろう」

だ。

親兄弟ともあれきりだな。

クソジジイは肺の手術の前の日に叔母が教えてやって来たけど大げんかになった以来だ。

姉と母親は何年会ってないのか数えられないや。



今の娘ちゃんは学校帰りそのまま自学、日曜はバイトか遊びで朝から出て夜遅くまでいないからあまり顔を合わさない。

だけど一緒になる時間帯はなんとか娘ちゃんが離れて行く日までわたしはとてもお元気です!って感じでいなくてはならないし、その残された時間を大切にしたい。


7月初めに勃発した嫌なことも春ころにはなんとか目処もついて関わることも一生なくなると願って暮らしている。

それはその直前に一気にカタがつくのでまだ不安なのは仕方ないけど今は考えてもしょうがない。


そのあとはしらない。

のたれ死んだらそれはそれまで。

今の近況というか書くことができるのはこのへんです。

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最終更新日 : 2019-12-06

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